原発ゼロ?! これからの日本 [社会]
はじめまして! カメといいますm( )m
これから、日々ボクらの周りで起こっている出来事についての意見や雑感などを
「つれづれなるままに」書きつづっていこうと思います!
さっそく本日のテーマはこちら。。。
【原発ゼロは日本にとって有益か】
ボクの答は「ノー」です。
語りの前に、このトピックを選んだ経緯から。。
11/12(火)、小泉元総理大臣が、日本記者クラブにて会見を開きました。
ここで述べられたことが「原発ゼロ・しかも即時に!」です。
当会見で小泉さんは、
「与党以外の政党はみな脱原発に賛成している」
「総理大臣には使える権力と使っても実現できない権力とがあるが、
脱原発は、総理が決断さえすれば、前者の権力となる」
「原発に代わるエネルギーは急速に成長している」
というようなことを言っておられました。
しかし、改めてボクの意見は「ノー」なのです。
いえ、厳密に言えば「条件付きイエス」です。
その最たる理由は「日本の安全保障」という点に尽きます。
原子力は、ご存知のように核分裂によるエネルギーで電力を作っています。
いわゆる核爆弾と根本的な概念は似ていると思われます(細かいことはわかりませんが)。
したがって、非核三原則を掲げる日本・軍隊をもたない日本にとって、「原子力」を取り去って、 どのように安全保障を維持していくのでしょう?
もちろん、原子力発電は、大震災等に備えた純粋なリスクからみても、逓減させていく必要はあると思います。
ただ、ゼロにはできない。
ゼロにしてしまうと。日本から完全に、「核のパワーによるベール」を消してしまうことになるから。
アメリカの傘に守られた安全保障にいつまでも頼り続けられる保証だって全くないのです。
逆の観点から、
・全世界で「核」を完全に消し去る
・日本が、いま世界で脅威の台頭となっている「核」に代わる「何か」を見つけて、自国の安全保障を堅固にする
といったことができれば、「原子力ゼロ」は賛成です。
これが、冒頭で言った「条件付きイエス」ということです。
持論ですが、「核」は現代社会の均衡そのもとを言っても良いと思います。
それこそ歴史をたどると、鉄砲ができれば・戦車ができれば・毒ガスができれば・戦闘機が飛べば、いつでもそこには「戦争」がありました。
残念ながら、「核爆弾」も作られたとき、やはり「戦争」がありました。
ただ、この兵器は、今までの兵器とは違った。使えないものだった。しかし作ってしまった。さらに
困ったことに処分困難なものだった。
こうなると、「核」は各国の「安全保障」や「外交政策」に使うしかない。
「沈黙の脅威」あるからこそ、ボクらも戦争のない時代で、自由に生活できるわけですね。
・・・ちょっと話が膨らんでしまいましたが、こういう思いからも 「原発ゼロはノー」なわけであります。
これから、日々ボクらの周りで起こっている出来事についての意見や雑感などを
「つれづれなるままに」書きつづっていこうと思います!
さっそく本日のテーマはこちら。。。
【原発ゼロは日本にとって有益か】
ボクの答は「ノー」です。
語りの前に、このトピックを選んだ経緯から。。
11/12(火)、小泉元総理大臣が、日本記者クラブにて会見を開きました。
ここで述べられたことが「原発ゼロ・しかも即時に!」です。
当会見で小泉さんは、
「与党以外の政党はみな脱原発に賛成している」
「総理大臣には使える権力と使っても実現できない権力とがあるが、
脱原発は、総理が決断さえすれば、前者の権力となる」
「原発に代わるエネルギーは急速に成長している」
というようなことを言っておられました。
しかし、改めてボクの意見は「ノー」なのです。
いえ、厳密に言えば「条件付きイエス」です。
その最たる理由は「日本の安全保障」という点に尽きます。
原子力は、ご存知のように核分裂によるエネルギーで電力を作っています。
いわゆる核爆弾と根本的な概念は似ていると思われます(細かいことはわかりませんが)。
したがって、非核三原則を掲げる日本・軍隊をもたない日本にとって、「原子力」を取り去って、 どのように安全保障を維持していくのでしょう?
もちろん、原子力発電は、大震災等に備えた純粋なリスクからみても、逓減させていく必要はあると思います。
ただ、ゼロにはできない。
ゼロにしてしまうと。日本から完全に、「核のパワーによるベール」を消してしまうことになるから。
アメリカの傘に守られた安全保障にいつまでも頼り続けられる保証だって全くないのです。
逆の観点から、
・全世界で「核」を完全に消し去る
・日本が、いま世界で脅威の台頭となっている「核」に代わる「何か」を見つけて、自国の安全保障を堅固にする
といったことができれば、「原子力ゼロ」は賛成です。
これが、冒頭で言った「条件付きイエス」ということです。
持論ですが、「核」は現代社会の均衡そのもとを言っても良いと思います。
それこそ歴史をたどると、鉄砲ができれば・戦車ができれば・毒ガスができれば・戦闘機が飛べば、いつでもそこには「戦争」がありました。
残念ながら、「核爆弾」も作られたとき、やはり「戦争」がありました。
ただ、この兵器は、今までの兵器とは違った。使えないものだった。しかし作ってしまった。さらに
困ったことに処分困難なものだった。
こうなると、「核」は各国の「安全保障」や「外交政策」に使うしかない。
「沈黙の脅威」あるからこそ、ボクらも戦争のない時代で、自由に生活できるわけですね。
・・・ちょっと話が膨らんでしまいましたが、こういう思いからも 「原発ゼロはノー」なわけであります。
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